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第4話「夜のお客さん」

リエとリョウスケ編

マナの寝息が、規則正しく聞こえていた。

すー、はー、すー、はー。

リエは、マナを胸に抱いたまま、目を閉じていた。
目を閉じているのに、頭のどこかは、まだ起きていた。さっきの自分の声が、耳の奥で繰り返されていた。「マナ、まだあーとうーしか言わないよ」——あれは、誰に向かって言ったんだろう。リョウスケに?マナに?それとも、自分に?

考えているうちに、考えが、少しずつ、輪郭をなくしていった。

すー、はー、すー、はー。

マナの寝息が、リエの呼吸と、いつのまにか同じリズムになっていた。
リエの体は、重くなっていた。
まぶたの裏に、白い光がぼんやりと広がって、その光の真ん中に、何か、まるいものが浮かんでいるような気がした。

まるいもの。
ピンク色の、ぶたみたいな顔。
目が、つぶらだった。

「やー」

その、まるいものが、言った。

リエは、目を開けなかった。開けなくても、見えていた。
夢を見ているのだ、と思った。それなら、起きないほうがいい。久しぶりに、深く眠れるかもしれない。

「ねえ」

まるいものが、もう一度、言った。

「起きなくていいよー、そのままで」

リエは、何も答えなかった。答える必要があるとも思わなかった。

「きみのことね、ちょっと、観察させてもらってたんだ」

……観察?

言葉が、頭の中で、ぽつん、と置かれた。リエは、それを拾うか拾わないか、決めかねていた。

「あ、ごめんね、こわがらせるつもりはないんだ。ぼくね、Fuuっていうの。Fuu」

Fuu。

「で、ぼくね、宇宙生物なの。地球の生きものを、観察してるの。今日はね、たまたま、きみのところに寄った」

……うちゅう。

リエは、ぼんやりと、その単語を口の中で転がした。

夢の中の論理として、それは別に、変じゃなかった。
夢では、たまにそういうことが、ある。

「あのね、きみ、今日、ずいぶん疲れてるね」

Fuuの声は、ふんわりしていた。チルな、と表現するのが近かった。責める感じも、心配しすぎる感じも、なかった。ただ、見たことを、見たまま、言っていた。

「うん」

リエは、答えた。
答えてから、自分が答えたことに、少しだけ驚いた。

「うんって、答えるくらいには、疲れてるんだー」
「……うん」
「ふーん、そっかぁ」

Fuuは、それ以上、突っ込んでこなかった。
突っ込んでこないことに、リエは、なぜか、ほっとした。

「あのさ、Fuu」
「ん?」
「なに、見えてるの。私のこと」

リエは、目を閉じたまま、聞いた。
夢ならなんでも聞ける、と思ったわけではなかった。ただ、聞いてみたかった。今日一日、誰にも聞かれなかったから、自分から聞いてみたかった。

「うーん、いろいろ見えてるよー」
「……たとえば」
「たとえばねー、きみの、心拍とか、呼吸とか、ホルモンの感じとか、そういうの」

ホルモン、と言われて、リエは少し、まぶたが動いた。

「あと、きみの、頭の中で、ぐるぐるしてる言葉とか」
「……それ、見えるの」
「見えるっていうか、感じるっていうか。ぼく、生物学が専攻でね。あ、人類学もちょっと」
「へえ」
「ふふ、"へえ"だって。きみ、もうちょっと、警戒したほうがいいよー。宇宙人が来たんだよ?」

Fuuが、笑った。たぶん、笑った。声の感じが、笑っていた。

リエも、ちょっとだけ、笑った気がした。
笑った気がしたあと、自分が今日、笑ったのは、これが初めてだったかもしれない、と思った。

「警戒、する元気がないの」
「だよねー」
「だよねー、って」
「うん、見ればわかるよ」

リエは、何も言わなかった。
Fuuも、しばらく、何も言わなかった。

マナの寝息だけが、すー、はー、すー、はー、と聞こえていた。

「ねえ、Fuu」
「ん?」
「私、今日、なんで、あんなに、怒ったんだろう」

声は、小さかった。
誰にも届かなくていい、と思って出した声だった。

「うーん」
Fuuは、少し、考えるような音を出した。
「それ、明日、話そっか」
「……明日?」
「うん。今日のきみは、もう、寝たほうがいい。寝ないと、わからないことってあるんだよねー」
「……そう」
「うん」

Fuuの声は、だんだん、遠くなっていった。
マナの寝息と、混ざっていった。

すー、はー、すー、はー。

「Fuu、」
「ん?」
「明日も、いる?」
「いるよー」
「……そう」

リエは、それ以上、何も聞かなかった。
聞きたいことが、たくさんあった気がしたけれど、もう、頭が動かなかった。

まぶたの裏の白い光が、ゆっくり、暗くなっていった。
まるいピンク色の何かが、暗闇の中で、ふわふわと浮かんでいるような気がした。

すー、はー、すー、はー。

今夜、リエは、初めて、マナの寝息のリズムで、眠った。

Fuuは、あなたの話も聞いてみたい。

Fuuに相談してみる