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第8話「夜、家族の食卓」

ミオとタクミ編

ハルトは、ランドセルを背負って、家のドアを開けた。

「ただいまー」

返事は、いつも通り、ママの声だった。

「おかえりー、手洗ってきて」

いつも通り、だった。
でも、ハルトは、なんとなく、いつもより、ママの声が、明るい気がした。


ハルトは、リビングに入って、立ち止まった。

テーブルの上に、お皿が、三つ並んでいた。

いつもは、二つだ。
パパは、いつも遅いから、ご飯はいつも、ママと二人だ。
パパのご飯は、ラップをかけて冷蔵庫に入っている。次の朝、パパが食べる。

でも、今日は、お皿が三つ、並んでいた。

「……ママ」
「ん?」
「パパ、帰ってくるの?」
「うん。今日は、早いって」
「えっ」

ハルトは、ランドセルをドサッと床に置いた。

「えー!ほんと?」
「ほんとだよ」
「やったー!」

ハルトは、ぴょんぴょん跳ねた。
二回跳ねてから、急に止まって、ママの顔を見た。

「……ママ、なんで?」
「なんで、って?」
「いつもパパ、遅いのに」
「うん。今日は、早いって。約束したから」

ハルトは、ふーん、と言った。
ふーん、と言って、それから、もう一回、ぴょんと跳ねた。


タクミは、十九時十二分に家に着いた。

予定より、二十分遅かった。
駅前の花屋で、迷ったからだった。

花を買おうとして、買えなかった。
花を買って帰るのは、なんだか、芝居がかりすぎる気がした。
代わりに、ハルトの好きなプリンを、コンビニで買った。三つ。

玄関のドアの前で、深呼吸を、した。
鍵を、回した。

「……ただいま」

声が、少し、上ずった。

「おかえり」

ミオの声が、奥から聞こえた。
いつも通りの、声だった。
いつも通りの、声を、出してくれた。


「パパー!」

ハルトが、玄関まで走ってきた。
タクミは、思わず、しゃがんだ。

「おかえり!」
「ただいま、ハルト」
「今日、はやーい!」
「うん、早く帰った」
「なんでー?」

タクミは、少し、口ごもった。
なんで、と聞かれると、答えに詰まる質問だった。

「……ハルトと、ご飯、食べたかったから」

言ってから、自分でも、嘘じゃない、と気づいた。
本当に、そうだったのかもしれない。

「やったー!」

ハルトは、もう一回、ぴょんと跳ねた。
跳ねてから、タクミの足にしがみついた。
そのまま、引きずって、リビングまで連れて行った。


食卓は、ハルトが喋り続けていた。

「あのね、今日ね、給食ね、揚げパンだったんだよ」
「へえ、いいなあ」
「ココアの。きなこじゃなくて」
「うんうん」
「タクヤがね、揚げパン三個食べた」
「三個!?」
「うん。先生に怒られてた」
「そりゃ怒られるだろ」

ミオは、味噌汁を運びながら、ふたりを見ていた。

タクミは、ちゃんと、ハルトの話を聞いていた。
ちゃんと、と言っても、特別なことはしていない。ただ、相槌を打って、目を見て、笑っていた。
それだけのことが、最近、すごく、稀だった。

ミオは、自分の席に座った。

「いただきます」

三人で、声を揃えた。


「あ、卵焼き!」
ハルトが、声を上げた。
「うん」
「あさも、あったよね?」
「あったね」
「いっぱい食べていい?」
「いっぱい食べていいよ」

ハルトは、嬉しそうに、卵焼きを口に運んだ。

「あまーい」
「うん、甘いね」
「パパも、食べて」

ハルトは、自分の卵焼きを、お箸で、タクミの口元まで運んだ。
タクミは、それを、口で受け取った。

……甘かった。

タクミは、卵焼きを、ゆっくり、噛んだ。
噛みながら、目の奥が、また、じんとした。

顔を上げると、ミオが、こちらを見ていた。
目が、合った。

ミオは、何も言わなかった。
ただ、ちょっとだけ、笑った。

タクミも、ちょっとだけ、笑った。

「……うん」
タクミは、ハルトに言った。
「甘いな」
「でしょー」
「うまいな」
「でしょー!」

ハルトは、嬉しそうに、もう一切れ、卵焼きを口に運んだ。


食事の後、タクミがお皿を洗った。

いつもは、ミオがやることだった。
タクミが洗うと言ったら、ミオは、最初、断った。
「いいよ、私やる」
「いや、洗わせて」
「ほんと、いいよ」
「……お願いだから、洗わせて」

その「お願いだから」が、ミオを、黙らせた。
ミオは、エプロンを外して、タクミに渡した。
タクミは、それを着けた。サイズが合っていなかった。


「ハルトー、お風呂入るよー」
「えー、もうちょっとー」
「もうちょっと、って何分?」
「五分!」
「分かった、五分」

ミオは、ソファに座っているハルトの隣に、腰を下ろした。

「ねえ、ハルト」
「ん?」
「今日、楽しかった?」

ハルトは、テレビから目を離さずに、答えた。

「うん、楽しかった」
「そっか」
「明日もパパ、はやい?」
「……どうかな」
「はやかったらいいなあ」
「うん、お母さんも、そう思う」

ミオは、ハルトの頭を、ゆっくり、撫でた。
ハルトは、嫌がらなかった。
最近、撫でようとすると、よく嫌がるようになっていた。
でも今日は、嫌がらなかった。


ハルトを寝かしつけた頃には、二十一時十五分になっていた。

ミオは、リビングに戻った。
タクミは、ソファに座って、テレビを見るともなく見ていた。

ミオは、その隣に、座った。

いつもの距離より、少しだけ、近い距離だった。

「……ハルト、寝た?」
「うん。すぐ寝た」
「珍しいな」
「うん。今日、興奮してたから、疲れたんだと思う」
「そっか」

しばらく、沈黙があった。
昼間の電話の沈黙とは、また少し違う、沈黙だった。

ミオは、思い切って、口を開いた。

「……ねえ、タクミ」
「うん」
「あの、夢の話、なんだけど」

タクミは、ゆっくりと、ミオの方を向いた。

「……うん」
「私、ちょっと、思い出してきた」


窓の外、月が見えていた。
昨日の月よりは、少し小さかった。
でも、まだ、十分に、大きかった。

Fuuは、あなたの話も聞いてみたい。

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