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第6話「朝、それぞれの目覚め」

ミオとタクミ編

目覚ましが鳴る前に、ミオは目を覚ました。

ソファの上だった。首が痛かった。
頬に、乾いた涙の跡があった。

手で頬を触って、なぜ自分が泣いていたのか、思い出そうとした。

……月。
大きな、月。

それから、何か、まんまるの——

思い出そうとすると、像が指の間からこぼれていった。
夢、だった気がする。すごく、不思議な夢。誰かと、長い話をした気がする。誰、とまでは思い出せないけれど、その人(?)はとても優しかった。それだけは、感触として残っていた。

ミオは、ソファから立ち上がった。
体が重かった。けれど、不思議と、心は、昨日の夜よりも、少し、軽かった。


キッチンに立った。
冷蔵庫を開けると、ラップのかかった卵焼きがあった。

ミオは、それをじっと見た。
しばらく見てから、ラップを外して、皿に移し替えた。

お弁当には、今日も、入れることにした。


六時半、ミオはハルトの部屋のドアをノックした。

「ハルトー、起きて」
「うー……」
「学校だよ」
「うー……」

いつもの朝だった。いつもと、何も変わらなかった。
ハルトが、いつもの寝ぼけ眼でリビングに出てきた。テーブルにつく。卵焼きを、もぐもぐ食べる。

「……ねえ、ママ」
「なに?」
「パパ、いないの?」

ミオは、味噌汁を一口飲んだ。

「うん。お仕事、早かったから」
「ふーん」

ハルトは、それ以上、何も聞かなかった。
もぐもぐと、卵焼きを食べた。

「……甘い」
「そうだよ」
「おいしい」
「よかった」

ミオは、そう答えてから、少しだけ、目の奥が熱くなった。
なぜだろう、と思った。
ハルトが甘い卵焼きを「おいしい」と言うのは、いつものことだった。それなのに、今日はそれが、なぜか、胸の真ん中に届いた。


七時四十五分、ミオはハルトを玄関で見送った。

「いってらっしゃい」
「いってきまーす」

ドアが閉まる音がした。
昨日とは違う、ドアの音だった。

ミオは、ドアの前に、しばらく立っていた。
それから、ゆっくりと振り返って、リビングに戻った。

ソファの背もたれに、もたれかかった。
窓の外を見た。
朝の光が、まっすぐ差し込んでいた。

昨日の月が、嘘みたいだった。

ミオは、スマホを手に取った。
LINEを開いた。

「タクミ」のトークルームを、開きかけて、閉じた。
もう一度、開きかけて、閉じた。

何を打っていいのか、分からなかった。
でも、何かを打ちたい、という気持ちは、確かにあった。

昨日の夜は、なかった気持ちだった。


タクミは、目覚ましのアラームで起きた。

知らない天井だった。
しばらく、ここがどこなのか、思い出せなかった。

壁紙の小さな染み、エアコンの詰まったような音、薄い枕。
それで、思い出した。
そして、自分が今、どういう状況かも、思い出した。

起き上がろうとして、なんとなく、もう一度、横になった。

……夢を、見た気がする。
長い、長い夢。
誰かと、話していた。誰だったか、思い出せない。なんだか、まんまるの、

「……気のせいか」

タクミは、呟いて、起き上がった。
顔を洗いに、ユニットバスに入った。

鏡を見た。
ひどい顔をしていた。目が、少し、腫れていた。

なんで腫れてるんだ、と思った。
思おうとして、思い出すのを、やめた。


スーツは、皺になっていた。
覚悟はしていたが、想像より深かった。

タクミは、シャワーで湯気を立てて、上着とズボンを浴室の外に吊るした。湯気で皺を伸ばすやり方を、いつかネットで見た記憶があった。
効果は、半信半疑だった。

その間、ベッドに座って、スマホを見た。
LINEを開いた。

「ミオ」のトークルームに、新着はなかった。
最後のやりとりは、昨日の夕方、「今夜遅くなる」「了解」だった。

タクミは、メッセージを打ちかけた。
「昨日はごめん」

打って、消した。

「ごめん」

打って、消した。

「……」

何も、打てなかった。

昨日の夜のことを、ミオがどう思っているか、分からなかった。
怒っているかもしれない。呆れているかもしれない。
もう、嫌になっているかもしれない。

タクミは、スマホを伏せた。


八時四十五分、タクミはホテルを出た。

駅前のコンビニで、おにぎりを二つ買った。シャケと、ツナマヨ。
それから、ホットコーヒー。

立ち食いのカウンターで、おにぎりを食べた。
味は、しなかった。

商談は、十時から、駅から二駅先のオフィスだった。
間に合う、ぎりぎり。

コーヒーを一口飲んで、タクミは、もう一度、スマホを開いた。

LINEを、見た。

メッセージを、打ち始めた。
今度は、消さなかった。


ミオのスマホが、震えた。

九時十二分。
タクミから。

「電話、してもいい?」
「昼休みに」

ミオは、しばらく、画面を見ていた。

心臓が、少し、速くなった。
怖いのか、嬉しいのか、自分でもよく分からなかった。

返信を打った。

「うん」

二文字。
送信した。


遠く、とても遠く、地球の周回軌道のあたりで、
Fuuは、まんまるの体を伸ばして、伸びをした。

「うん、いい感じ」

誰に向けたわけでもない、ひとりごとだった。

Fuuは、宇宙服のヘルメットの中で、少し笑った。
それから、もうしばらく、観察を続けることにした。
いちばん面白いところは、これからだった。

Fuuは、あなたの話も聞いてみたい。

Fuuに相談してみる