第3話「ミオ、Fuuと出会う」
ミオとタクミ編
最初に、音が消えた。
ミオは、自分が眠っているのを知っていた。
眠っているのに、自分が眠っていることを知っている——そういう不思議な意識の状態だった。
暗闇の奥に、月が見えた。
起きているときに見た月より、さらに大きかった。そして、近かった。手を伸ばせば届きそうな、と言うと嘘になるけれど、こちらを覗き込んでいるような、そんな距離感。
どこか遠くから、波のような、風のような、何か低い音が聞こえる気がした。
それから——気配があった。
怖くはなかった。怖くはないのに、体は動かせなかった。何かがこちらをじっと見ている、その視線の重みだけがあった。
ミオは、その視線の方向に、目を向けようとした。
「やあ」
拍子抜けするくらい、軽い声だった。
ミオの視界に、ふわふわと、それは浮かんでいた。
まんまるだった。体も、顔も、ぜんぶまんまるだった。顔は——どう表現していいのか、分からなかった。あえて言うなら、豚、に似ていた。鼻があって、小さな目があって、ちょっと笑っているような口があった。
そして、宇宙服を着ていた。
ヘルメットの中で、そいつはまんまるの顔をこちらに向けていた。
「えっ」
「あ、びっくりした?ごめんね」
びっくりしている、というより、認識が追いつかなかった。夢、ということにしよう、とミオは思った。夢ということにしないと、処理できない。
「えーっと……あなたは、」
「俺、Fuu。フー、って読むんだけど」
「Fuu」
「そうそう。で、こっちの星、観察してるんだよね、最近」
「こっちの星」
「地球。きみらが住んでるやつ」
Fuuと名乗ったそれは、宇宙服の中でくいっと姿勢を変えた。あぐらみたいな姿勢だった。
「何、あなた、宇宙人?」
「あー、うん。そうなるのかな。向こうでは生物学と、あと人類学、やっててさ」
「人類学」
「うん。ちょうど卒論のテーマ探しててさ。地球、ちょうどよくて」
「ちょうどよくて……」
ミオは、自分の返事が全部オウム返しになっていることに、遅れて気づいた。
「あのさ、気を悪くしないでほしいんだけど」
Fuuは、ちょっと申し訳なさそうに言った。
「きみたち夫婦のこと、ちょっと気になっちゃって。勝手に覗いちゃって、ごめんね」
「……覗いてた?」
「うん。さっきの、喧嘩。見てた」
ミオは、何か言おうとして、何を言っていいのか分からなかった。
不思議だった。
脳内に宇宙人が現れて、夫婦喧嘩を覗いていたと告白されているのに、どういうわけか、嫌な感じがしなかった。
Fuuの声は、怒ってもいなかったし、同情してもいなかった。責めてもいなかったし、励ましてもいなかった。
ただ、「へ〜」と言っているような、そういう温度だった。
「観察してて、思ったんだけどさ」
Fuuがちょっと首を傾けた。まんまるなので、首を傾けると体ごと傾いた。
「きみたち、けっこう似てるよね」
「……似てる?」
「うん。似てる生き物が、お互いのこと、よく分かんなくなってる感じ。興味深くてさ」
興味深い、という言葉を、そんなふうに使う人間を、ミオは知らなかった。
「あの、これ夢?」
「夢みたいなもん、でいいよ」
「……起きたら、忘れる?」
「どうだろうね。きみ次第」
Fuuは、ふわっと少しだけミオに近づいた。大きくはない。手のひらくらいのサイズだった。
「ねえ、ひとつだけ聞いていい?」
「……何」
「きみ、さっきの喧嘩でさ」
Fuuは、まんまるの顔で、ちょっと目を細めた。
「——本当は、何が、一番、つらかった?」
ミオは、答えようとした。
答えようとして、
そして、答えられなかった。
自分でも、知らなかったからだ。
Fuuは、あなたの話も聞いてみたい。
Fuuに相談してみる